「可能性を信じて」    
         愛媛県小中学校長会長  田中  務
 
 「たった一言が 人の心を傷つける たった一言が 人の心を温める」と
いう言葉があるが、一学期末に配布された「生徒会だより」に、三年生の
ある生徒の文章が載っていた。一度、先生に褒められたのがずっと励み
になっているという「大事に心の中にしまっていた一年生の時の思い出」
を書いたものだった。
 この生徒は、いわばできない生徒だったが、学年末テストで英語の点
が三十八点上がり、A先生から「努力はクラス一だ」とみんなの前で褒
められた。点はクラスではあまりいい方ではなかったが、今までそのよ
うなことがあまりなかったので、先生が努力を認めてくれたのがものす
ごくうれしかった。その言葉で勉強の意欲がわいた。今もありがたいと
感謝している。卒業式の日には真っ先にこのA先生のところへお礼を
言いに行きたいと結んであった。
 A先生の「努力はクラス一」のたった一言が、この生徒をやる気にし
たのだ。生徒たちの多くは、先生から褒められたり注意されたりして、
やる気を起こし、誇りを持ち、努力をするのではないだろうか。
 我々教師は、どちらかと言えば、なかなか見つけにくい長所よりも、
すぐに目に付く生徒の短所に目をやり、点数を引くことを優先している
ことが多い。そして、マイナス点の少ない生徒だけを優秀だとして、点
の悪い生徒は、「だからお前はだめなんだ」と決めつけてしまう傾向が
ありはしないだろうか。
 かつて私が仕えた管理職の中に、成績が優秀な生徒には「元気か」
「頑張っているか」などと、笑顔でよく声を掛けるのに、問題生徒の横
を通っても声を掛けるどころか、目さえ合わそうとせず、横を無言で通
り過ぎ、後で「あの生徒は何々ができていない」などと言う人がいた。
教職経験の浅い私でさえ、そのような生徒にも声を掛けてやればいい
のにと、ずっと感じたものだった。その管理職は優秀な生徒には受け
が良かったが、一般の生徒からはあまり好かれていなかったように思う。
 ある講演会で「『良い個性』もあれば『悪い個性』もある。生まれなが
らにそなわっている『ある個性』もあれば、家庭教育や学校教育で獲得
した『なる個性』もある」ということを聴き、なるほどと思った。しかし、
どちらにしても、生徒をある一面だけでとらえるのではなく多面的にと
らえ、一人一人の持ち味を大切にしていくことが教育をするうえで大
切なことに変わりはない。
 校長先生方もご存じのとおり、このようになるはずだ、そうなって欲し
いと信じて期待していると相手もその期待に応えるようになるという現
象をピグマリオン効果と呼んでいる。
 先生が「この生徒は伸びるはずだ、長所を伸ばしたい」という強い
期待をもって、一生懸命な態度で接していれば、たとえそれが直接
言葉や行動に表れなかったとしても、生徒は先生の期待を敏感に
感じ取り、望ましい方向に伸びていくであろう。
 これは教師にとっても同じことである。自分は校長から期待されて
いる、信頼されていると感じている教師は伸び、また一方、その逆は
やる気を失うのではないだろうか。
 そこで、理想通りにはなかなかいかないのが現実ではあるが「この
教師はきっと伸びる」「いい教師になる」と期待をかけてやることが校
長として大切なことではないかと思う。
 私は、毎年年度当初の第一回目の職員会でけ「生徒たちは自分
のことを真から思ってくれている先生と、そうでない先生とは恐ろし
いほど、本能的に見分けることができる。個性、個人差のある生徒
をよく理解し、伸びていくという可能性を信じ、最大の援助をしてい
くことが重要だ」ということを強調している。そして、今年度は次の詩
を紹介した。
          「明  日」
     はきだめに
     えんどう豆咲き
     泥沼から
     蓮の花が育つ
     美しき種子あり  
     明日何が咲くか     (安積 得也)

 自分でも気がついていない、生徒の隠れた力を発見し、それに
火をつけ「やる気」にさせる先生に出会うかどうか、生徒にとっては
一生を左右する運命的な巡り合いである。そいうい教師に出会え
た生徒は幸せである。
 今年度末に退職を迎える。三十八年間の私の教師生活を今振
り返ってみると、一人一人の可能性を見つけ出し、伸ばすことが
できなかった。平凡で何の取り柄もないなさけない自分がいる。
大勢の教え子たちや献身的に仕えてくださった先生方に申し訳な
い気持ちで一杯である。
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